「合理化」などの”ごまかし”を使わずに、望ましくない現実にきちんと直面し、理性で考えなさい、という、「洞察」と呼ばれる、不安、恐怖の処理の仕方だ。しかし、この「洞察」は精神分析のゴールとなっているほど、高度な理性やタフな精神力を必要とする手段でもある。
葛藤から目を背け、想像力も放棄して誰かに重要な決定を「白紙委任」してしまったり、刺激的な「二者択一の選択肢」の提示だけを要求し続けたりした結果、ナチスの虐殺や福島原発事故のような結果がもたらされた、とするのはあまりに極端な意見かもしれない。しかし、前者は歴史が証明していることであり、後者はいま実際に日本で起きている出来事なのである。
(短文形式のソーシャルメディアの情報を鵜呑みにする、誰かが名指ししてくれた「敵」を総攻撃する、意見が分かれる問題に二者択一を迫る、(自分の代わりに)すべてをはっきりさせてくれそうなリーダーを待望し、その人に白紙委任する)これらはいずれも、強い不安、葛藤を抱えた人たちが、それと向き合って洞察することをせずになんとか心の安定を保つための、いわば”苦肉の策”であることを指摘した。精神医学では、それらを「合理化」「否認」「躁的防御」「投影性同一視」「スプリッティング」などと呼ぶ。
「書き記す」
自分の感情、ときにはネガティブな感情も含めて、それを認め、受け止めながら記述し、後に振り返り、そこから現実を再構成して考える。
手間もかかれば、考えるための時間も必要だ。そしてなにより、そこで生起する自分の感情と率直に向き合う「若干の勇気」も必要になるだろう。
この「若干の勇気」を持てるかどうか。
それ自体はとても小さな選択だが、そのことが結果的にもたらすものはあまりに大きい。私はそう考えている。
(「独裁」入門 香山リカ著)
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