2013年11月23日土曜日

からだの意識

重い甲冑を身に付けているイメージを持ち、自分のからだの領域と重さは甲冑を含めた容量、質量と意識する。体の外に体の意識を置く。

手は200KGの握力と質量を持つとイメージする。この強力な手から体を稼働させる。
手は頭で操作する(神経で筋肉を動かす)のではなく、肚で操作する(肚から発する意識で直接手を動かす)

遅咲き成功者の共通点

仰ぎ見る師匠がいること
怒涛の仕事量をこなす
敵との切磋、友との切磋
修養、鍛練、切磋を怠らない
飛翔する構想力を持つ

平凡の凡を重ねよ、いつかは非凡になる(元東芝社長、岩田弌夫)

2013年8月11日日曜日

内臓とこころ

体は体壁系と内臓系に分かれる。

体壁系:外皮系、神経系、筋肉系

外皮系(感覚):皮膚、皮膚から高度に分化した目、鼻、耳の感覚器官が含まれる。全て外界との接触面となる。
神経系(伝達):外皮系と筋肉系の間にできる。特に発達して脊髄になる。脊髄の前端が大きく膨らんで脳となる。
筋肉系(運動):内臓を全部包む。
感覚と運動というものは、どちらが原因で、どちらが結果というものではない。感覚と運動は同時進行です。感覚と運動の両者の間にあって、絶えず行ったり来たり、”走り使い”するのが、神経系の本来の役目と思えばいい。文字通り「伝達」するだけです。

内臓系:腸管系、血管系、腎管系

腸管系(吸収):腸管の両脇腹に巨大な性腺が生まれる
血管系(循環):吸収と排出の間にあって”交流”をはかる
腎管系(排出):腎管が性管に変身する

こんにゃく体操(野口三千三)
私たちのからだは皮袋に入った酒であるという。容器がしなやかになれば中身はその時々の形で常に地球の中心に結ばれひとつの天体と化す。解剖学的には袋が体壁系に、酒が内臓系に相当するので、ここでは体壁系のつっぱりを取ることが当面の目標となる。

「内臓とこころ」 三木成夫著

2013年7月15日月曜日

相手の気をつかむ(4)

肚(下丹田)で相手の肚をつかむ。胸(中丹田)で相手の胸をつかむ。頭(上丹田)で相手の頭をつかむ。

敗因の3要素

敗因の3要素は、情報不足、慢心、思い込み。この3つ。林修

Big Apple

体にまとう気のバリアの形が大きな林檎になるようにイメージする。林檎の芯の部分が体になり、頭の頂上と足の下が磁石のN極とS極で、磁気の立体的な線の集合が林檎の形になるイメージ。

2013年5月25日土曜日

経験は積み重ねず、並べるもの

リアリティのある想像は、経験の中からしか生まれません。その意味で経験は非常に大事なものですが、想像なくしてヒマラヤの山は登れない。経験だけで挑み、仮に登れたとしても、それではちっともおもしろくないはずです。

たとえば、単純作業を繰り返すような場合であれば、経験はとても重要になってきます。経験を積み重ねれば重ねるほど、上手くなったり、速くなったりもする。

しかし、山はそうではない。同じ登山というものは、二つとない。一度登れた山だからといって、二度目も確実に登れるという話には絶対になりません。条件も違ってくるし、自分自身のコンディションによっても違ってくるし、パートナーによっても違ってくる。登山というのは、毎回が初回なのです。

だから経験は「知識」にはなるけれど、あまり役には立たない。経験を積み重ねれば積み重ねるほど、むしろ登山はつまらなくなってしまうとさえ私は感じています。

経験を積み木のように重ねて行けば、どんどん高くなります。その結果、ゼロから始めていたことが、たとえば10の高さからスタートできるようになる。それは、想像する楽しみが減ってしまうだけではなく、非常に危険なことでもあります。

何が起こるかわからないから、何が起こっても対処できるように想像して山に登るのです。最初から10の経験を持ち込んで山に登れば、その部分には想像が入る余地がなくなる。ところが待ち構えているのは、過去に経験した状況とは異なる状況です。経験に従って登ることは、現場で判断を下して行動するのではなく、マニュアル通りに行動するようなものです。

私にとっての経験とは、積み重ねるものではなく、並べるものなのです。経験が増えれば増えるほど、数多くのディテールが知識となって記憶にインプットされます。そのディテールとディテールの隙間を埋めていく作業が”想像”です。だから、経験の積み木のすべてが見渡せるように、テーブルの上に広げておく。そして、並べてある位置を移動させたり、順番を入れ替えたりしながら、隙間を埋め尽くすほど想像を膨らませていくわけです。

たとえば、急峻な氷壁を越えなければならないような場面。「どうやったら安全に効率よく登れるか?」という選択肢を100通り想像できていたとします。ところが、一歩踏み出した瞬間に選択肢は半分くらいに減り、三歩、四歩と進むうちに、選択肢はどんどん消去されていきます。消去さらたら、そこで再び想像し、選択肢を増やしていく。そうやって前に進んでいくことが、山頂に向かって自分を押し上げるという行為なのです。

経験に頼るのではなく、想像を広げながら登るからこそ、新しいことも見えてくる。想像できることが多ければ多いほど、登山はおもしろくなり、危険も回避できる。想像を楽しむために、まともに呼吸もできないつらさが待っているのを承知で、私は超高所の頂を目指し、下りてくるのです。

(登山の哲学 竹内洋岳 著 NHK出版新書)


経験は知識である。
経験をマニュアル化してはいけない。マニュアル化すると状況の変化に対応できない。
経験は積み重ねず、横に並べる。
経験を横に並べ、想像力で知識と知識の隙間を埋め、全ての経験がひとつの全体として見渡せるようにテーブルの上に広げる。
知識(経験)を増やせば増やすほど、想像(知識と知識の隙間を埋める作業)の幅も広がる。
想像の幅が広がると、より選択肢(知識の選択、知識の組み合わせ)を増やすことができ、消去し、またすぐに増やせる。
想像力と知識(経験)が自然に増殖するレベルに達すると、知識の習得自体が想像力を強化する。想像力で知識を補えるようになる。


2013年5月6日月曜日

合気をかけるタイミング

合気をかけるときには、絶対に、沈み込む、モーションをつける等の「はずみ」、準備動作、をつけない。いきなり相手の気をつかむ。いきなり相手の軸を捕まえにいく。つかまえると同時に技をかける。

合気真髄より

合気の稽古はその主となるものは、気形の稽古と鍛錬法である。気形の真に大なるものが真剣勝負である。武道においては本来、いわゆるスポーツ的試合はない。試合うとすれば生死をかけた試合となる。しかしながら徒に勝負を求めることは大きな間違いである。

2013年4月20日土曜日

相手の気をはずす

相手が手首をつかんで、さらに自分の気をつかみに来た場合(自分の気の波長にチューニングしてきた場合)に、気をはずす、即ち自分の気の波長を変えてチューニングをはずす方法として、つかまれている手首が、実際にある位置ではなく、別の位置にあると意識する。意識上の手首を剣の中段の位置に置く。即ち、意識上の物理的位置を移動させる。


相手の気をつかむ(3)

相手の気をつかむ場合は、つかんだ(つかまれた)手の接触点から気の意識を延長して相手の体全体に気をめぐらしてつかむのではなく、一機に相手の体全体をつかむ。気を延長させる意識は持たない。背骨腰骨全体を一機につかむ。二次元ではなく三次元で相手の背骨腰骨をつかむ。体を樹木にたとえるならば、樹木(体全体)を持ち上げるには幹(背骨腰骨)をつかめばよい。これが「合気をかける」の意味かもしれない。

手と手の接触点から合気をかけるのではなく、相手と接触していなくても、腰玉から気を発して合気をかけて、相手の体をつかむ。

腰玉(2)

腰玉は気のエネルギーを蓄える、蓄電池ならぬ「蓄気池」の機能を有する。蓄気の容量は無限大で、いくらでもエネルギーを貯め込むことができる。意識して蓄気し、必要な時に気のエネルギーを出力する。但し、知らぬ間にエネルギーが放出してしまう、放電ならぬ「放気」が起こらないように腰玉を制御することが必要。入力、蓄気、出力の3つをを制御する。

人間は体力と気力の二つのエネルギーをバランスして使いながら活動する、いわば、ガソリンエンジンと蓄電池の両方をコントロールして駆動するハイブリッドカーの如し。


2013年4月10日水曜日

フレームワークの構成

地の巻=機能側面(基本、基盤)
水の巻=静的側面(心的側面)
火の巻=動的側面(体的側面)

フレームワークのプログラム

監査実務のフレームワークを構築する上で、最も重要なポイントは、フレームワークの基本のプログラムの中に、状況に応じて臨機応変に対応する自在力が組み込まれることである。

序文(地の巻)

筆者は総合商社の監査部に5年間在籍し、この間30の組織の監査を行った。監査の対象の組織単位は本社の営業部であり、また事業会社(連結子会社)であり、業種は総合商社ならではで、機械、食品、エネルギー、繊維、物資、また情報等の多岐に亘る。商社であるので製造業や小売業の監査先は極めて限定され、また病院や非営利組織は監査の経験はない。しかし、扱い商品やサービスが異なり、業種によってカルチャーも全く違うとまで言い切れる中で、業種を超えた監査の経験を積むことにより、それぞれの監査の実施経験に共通する「何か」を感じたことは事実である。この「何か」を言葉に表すことができれば、今後の監査のレベルアップに役立てることができるであろうし、監査に従事する監査人の一助になると考えた次第である。

”何か感じたことを言葉にする”、即ち「言語化」は、深い思考活動及び精神活動を必要とする厄介な作業であることを思い知らされることになる。少し具体的に述べると、過去の一つ一つの経験を集めて、そこから共通性を抽出し、それをシンプルな言葉に帰納させて抽象化する。冒頭のスティーブジョブスの言葉の通り、シンプルにする、言い換えれば物事を抽象化する、あるいは概念化するという作業は大変なことであるが、一旦抽象化し概念(モデル)にすればそれをフレームワークとして様々な局面で活用することができるだろう。

監査の本来の仕事は、「業務の間違いさがし」でなく、内部統制システムの整備、運用状況をチェックすることであり、常に組織の本質、根幹の部分に目を向ける作業と言い換えることができる。この意味で、物事を抽象化する作業を常に繰り返し行う活動と言える。

2013年3月17日日曜日

腰玉(こしだま)

腰の部分、どちらかというと腹というよりも仙骨に近い部分に、砲丸投げのの程度の大きさの玉をイメージする。砲丸投げの玉のようにずっしりとした質量があり、しかし重力に引っ張られないで腰の位置に浮いていて質量だけを感じるイメージ。この腰玉が起点、作用点となって力が腕、手に及ぶ。腰玉が全身の動きのマニピュレーターとなる(腰玉と手が結ばれる)。腰玉の大きさは自在に変化し、体全体を包む大きさとなってバリヤーになったり、近づく相手の動きを感じるセンサーになったりする。

2013年3月2日土曜日

Code of Ethics(解説付き)

Code of Ethics — Principles Internal auditors are expected to apply and uphold the following principles:
内部監査人は、下記の諸原則に従い、これを向上させるものとする。

(解説)
内部監査を学ばんと思う人は、道を行う法(指針)あり。

Integrity 誠実性
The integrity of internal auditors establishes trust and thus provides the basis for reliance on their judgment. 
内部監査人の誠実性は、信頼を確固なものとする。このゆえに、誠実性は、自らの判断が信用される基礎となる

(解説)
よこしまなき事を思う所 役にたたぬ事をせざる事

Objectivity 客観性
Internal auditors exhibit the highest level of professional objectivity in gathering, evaluating, and communicating information about the activity or process being examined. Internal auditors make a balanced assessment of all the relevant circumstances and are not unduly influenced by their own interests or by others in forming judgments.
内部監査人は、検査の対象とされている活動およびプロセスについて情報を収集し、評価し、伝達するにあたり、専門職としての最高水準の客観性をもって行う。内部監査人はその心証の形成において、関連する状況のすべてについて調和ある評価を行い、自己の利害あるいはその他によって不当に影響されてはならない。

(解説)
IIAの「内部監査の専門職的実施の国際基準」に、内部監査人は内部監査の業務の遂行にあたって客観的でなければならない(1100-独立性と客観性)とあり、客観性とは内部監査人の公正不偏な精神的態度であると解釈が付されている。

我々内部監査人は、ことさらに精神性を強調しなければ業務が完遂できない職務に携わっていることを肝に銘じ、かつ、精神的態度が業務遂行の基礎にあるという、極めてユニークな立場で仕事をしていることを認識しなければならない。

「職業的猜疑心」は客観性という言葉の範疇に入る。内部監査人に求められる「職業的猜疑心」とは、監査先の説明の根底にある基準で考え・判断するのではなく、先入観、固定観念を捨て、自ら基準をゼロベースで考え、ゼロから基準を組み立て、その基準で物事を考える精神的態度、思考方法の事。猜疑心とは、物事を疑うことではなく、常に物事の本質を探ろうとする精神的態度・思考方法のことを言う。

いざという時に自然に身体が動かせるように、動揺しない精神状態を保つ。そのために、思考パターンの回路を常に解体しては作り替える、心を一箇所に留めない「自在心」が重要になってくる。(長野俊也著 武術のヒケツ)

Confidentiality 秘密の保持
Internal auditors respect the value and ownership of information they receive and do not disclose information without appropriate authority unless there is a legal or professional obligation to do so.内部監査人は、入手する情報がどのような価値を持ち、それが誰の所有にあるのかに注意し、開示への法的または専門職としての義務がないかぎり、適切な権限なしに情報を開示してはならない。

Competency 専門的能力
 Internal auditors apply the knowledge, skills, and experience needed in the performance of internal audit services. 
内部監査人は、内部監査業務の実施に当たり必要な知識、技能、経験を用いる。

(解説)
道の鍛錬する所 諸芸にさわる所 諸職の道を知る所 物ごとの損得をわきまゆる事 諸事目利きを仕覚ゆる事 目にみえぬ所を悟って知る事 わずかなる事にも気を付くる事

CIA資格保有者は、 内部監査人としての知識と技能を維持すること、内部監査人としての知識や技能を最新のものにし、内部監査の基準・手続・技法に関連する諸問題を常に把握し、その能力を向上・発展させることをその責務とします。

監査人は弁護士や公認会計士等と同じく専門知識や専門的技能を必要とする専門職であり、他の営業部門や管理部門の職種とは異質の職能である。それ故に、弁護士資格や公認会計士資格等と同じく、公認内部監査人という資格が世の中に存在する。従って、新たに監査の勉強をすることなく、これまでの会社人生の経験の延長線上で監査人が務まると考えるのは、監査とは何かを勘違いしているか、あるいは傲慢であるかのどちらかである。


専門知識の習得


監査人は弁護士や公認会計士等と同じく専門知識や専門的技能を必要とする専門職であり、他の営業部門や管理部門の職種とは異質の職能である。それ故に、弁護士資格や公認会計士資格等と同じく、公認内部監査人という資格が世の中に存在する。従って、新たに監査の勉強をすることなく、これまでの会社人生の経験の延長線上で監査人が務まると考えるのは、監査とは何かを勘違いしているか、あるいは傲慢であるかのどちらかである。

監査理論の必要性


理論を振り回して監査実務を遂行できるものではない。しかし、理論という基盤・基軸を持たなければ、臨機応変に対応することを求められる監査の現場で、場当たり的な対応にしかできず、またいくら監査経験を積んでもそれを知識体系として蓄積することも出来ない。正しい監査のフレームワークを身に付けていなければ、監査現場で出来ることは、せいぜいマニュアル通りの検査(インスヘ゜クション)であり、知識体系と監査技能の駆使を求められる監査(オーテ゛ィット)を遂行することは難しい。


2013年2月24日日曜日

監査技能と監査技術の違い

「技能」と「技術」の違いを一口で言えばマニュアル化できるかどうかだ。常に臨機応変に判断し行動しなくてはならない、この対応能力が技能だ。技能は多分に職人技であり、科学的知識とともに、試行錯誤の経験によって個人的に獲得しなければならない。経験プラス知識が大切。試行錯誤をしながら出てきた結果を科学的に解釈することによって技能が形成される。
(神門善久著 日本農業への正しい絶望法)

2013年2月9日土曜日

内部監査人の客観性

IIAの「内部監査の専門職的実施の国際基準」に、内部監査人は内部監査の業務の遂行にあたって客観的でなければならない(1100-独立性と客観性)とあり、客観性とは内部監査人の公正不偏な精神的態度であると解釈が付されている。

我々内部監査人は、ことさらに精神性を強調しなければ業務が完遂できない職務に携わっていることを肝に銘じ、かつ、精神的態度が業務遂行の基礎にあるという、極めてユニークな立場で仕事をしていることを認識しなければならない。


定性面を定量化すること

定性面を定量化すると、簡潔で分かりやすくなるが、反面、複雑な要素が絡み合っているからこそ定性的であるモノに対する視点が表層的に固定化され、同時に思考も固定化されてしまう恐れがある。


不正をはたらく悪いヤツ

不正をはたらく悪いヤツの中には、一見するととても悪そうなヤツには見えず、正々堂々とした雰囲気の者がいる。それは虚栄ではなくて、ごく自然なたたずまいである。彼らは不正のトライアングルの動機・機会・正当化の内の正当化が、自分で自分自身を洗脳することにより完了しており、すなわち、正当化の段階ではなく正当化後の「化けた」状態にあり、悪いことをしていると本人は思っていない。このようなヤツ等と面談して、顔の表情からウソを見抜くにはどうしたらよいか、わからない。


2013年1月27日日曜日

仕事こそ神聖なもの(オノヨーコ)

あなたの力をずっと何かに役立てる

私は、「仕事が自分の人生だ」と考え、できるだけのことをしたいという気持ちで生きてきました。しかし人は、自分が続けようと思っている仕事を途中で断念しなくてはならない時、とても苦しくなります。仕事があるから心も体も丈夫でいられるし、意に沿わない仕事をすると体に響く。それくらい人間にとっては大切で神聖なものです。

特に日本人はその感覚が強い。日本人は食事をしていても、歩いていてもどこか瞑想しているような資質があるように思いますが、働くことも、深く静かに生きることにつながっているように見えます。アメリカ人はお金を払ってメディテーション(瞑想)を習います。でも私たちには既にあった。それは、時間で労働を売るのとは違う、日常に根差したきめ細やかな仕事観ではないでしょうか。

世界では日本のことを、小さな島の国だけれど国民は頭が良く勤勉で、戦禍にあっても大災害を受けても、やがて必ず立ち上がって大きな力を取り戻す国と考えています。それは今まで一人ひとりが何かの役に立とうと努力してきたからですね。一生懸命に野菜やお米を作ってきたお百姓さんや、工夫に工夫を重ねた名もない技術者が、自分のできることを貫いてきた。

若いあなたも、ぜひ自分の力を見つめ直して欲しい。私が、「クリエーティブな視点を持て」と皆さんに提案するのは、「どんな小さなことでも自分を役立てられる仕事」をいつも探していこうと伝えたいからです。

認め合いましょう。違いを、優れている点を。

つい先日、ニューヨークタイムズ紙で面白い記事を読みました。今まで、母親と胎児の間にはとても強い力があることは知られていましたが、父親はほとんど関与していないと思われていましたね。ところが新しい研究では、父親が考えていることや、母親に話しかけたことまでが全て退治に届いているから、妊娠中の父親の存在が大事だと分かったそうです。

どちらか一方が、一つの役割をすればいいいというものではない。その証拠が出てきたということでしょう。それは仕事にも言えます。男性だけが仕事に秀でているわけではない。それどころか女性が優れた能力を発揮する場も非常に多い。何より仕事は、女性にも神聖な喜びをもたらすもので、私たち女性は働くことが大好きなのです。

だから、家事と育児に追われる主婦の立場を見て育った女性たちが結婚しなくなり、子供を産まなくなり始めましたね。まるでみんな一緒に「産まない」選択をしている「沈黙の革命」のようです。家庭での男性の大切さ、仕事での女性の大切さ。それを本気で認め合う時が来たのではありませんか。

私の夫のジョンレノンは、息子のショーンを育てたいと主夫になりました。英国の保守的な環境で成長したジョンには、葛藤のある決断だったはずです。でも、自分にできる新しい役割を見つけ出したことは、とてもクリエーティブな生き方だった。

あなたも、自分を愛して、自分らしさを信じて、小さなチャレンジから踏み出して欲しいと思います。

オノヨーコ 朝日新聞 仕事力

夢を書き出しなさい(オノヨーコ)


自分を掘り下げる
意識を忘れない

 人間は幸せになるために生まれてきます。では、その大切な一人であるあなたが求めてやまない幸せは、どんなものですか。そして選んだ生き方はその延長線上にありますか。かつて出版した『グレープフルーツ』に私はこういう言葉を記しました。

 「書き出しなさい。/あなたがしようとしていることを、ぜんぶ。/それを誰かに見せなさい。/あなたがぜんぶやり終えるまで/そのひとを眠らせなさい。/できるだけながく/時間をかけてやりなさい。」

 世の中の状況や価値観はどうであろうと、あなたが志していることを自覚する意識が大切なのですね。漏らさず書き出し、時間の制限を受けずに実現する、という生きていく指針を探して欲しい。それから、同じ本に記した、自分に気づくことを示唆する言葉。

 「出入りする小さなドアをつくりなさい。/出入りするたびに、あなたは/かがんだり、縮んだりしなければならない。/これはあなたに/あなたがどのくらいのサイズなのか/出ること、入ることとは何か、を/気づかせてくれる。」

 これらの言葉を記したのはもう半世紀も前のことです。私は30歳前後でした。すでに平穏な人生ではなく、自分の仕事の展望にもプライベートにも確かな見通しはありませんでした。現在のあなたと似ていますか? ただ一つ問いただしたのは、「自分らしいか」ということでした。どんな時でも自分らしくいることが私には一番大事でした。

 その後の人生で私は、ビートルズが解散する要因になったなどと、世界中からいわれのない非難を浴びる状況も経験し、ジョン・レノンが亡くなった後も長くつらい時間がありました。それでも、自分らしさを諦めたことはなかった。社会や周囲の要求に合わせた生き方では、どうしても心が弱くなりますが、自分らしくあり続けるその一点で強くいられたのです。

あなた自身を頼れ

 私たちが最も力を出せるのは、自分の希望で力を使っている時です。人に頼っている時には弱かったエネルギーが、自分を頼るようになると次第に強くなっていきます。私は、息子のショーンが、母である私を頼らず、自分の力で独立できるように育ててきました。母親としては寂しい思いもしますが、そうしなかったら現在の彼にはならなかった。

 昨年12月、日本での「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」に、ショーンが初めて参加すると自ら言い出したので驚きました。開始から数えて12年目に。その理由は2011・3・11の東日本大震災が強く彼のハートに響いたからだということでした。自分の年代と、その子どもたちが苦しんでいる。日本人でもある自分も、「一緒に立ち上がろう」という復興への強い情熱を伝えたいと行動したのでしょう。誰の思惑でもなく、自分の中から湧いてくるエネルギーでした。

 私たちが、自分の力を頼りに再興を考え、そのために行動する。それは国だけでなく、実は「自分を再興する」ことにもなるはずです。失望している時でさえも、チャレンジすることを書き出してごらんなさい。そう、あなたがしようとしていることを全て。そして想像してください。それが現実になっていくことを。(談)

オノヨーコ 朝日新聞 仕事力

昼休みのクリエーション(オノヨーコ)


若く苦しい時代にも
誇りを見つける

 私は、幼い頃から音楽や詩がとても好きでしたし、大学でも学びました。表現して生きる人生を当然と考えて育ってきたのです。でも真っすぐに自分の表現へたどり着いたわけではありませんでした。若い頃から、コンセプチュアルアート(概念芸術)の作品を何点か発表していましたが、それだけで食べていけるはずもない。

 長女が誕生した30歳の頃には日本に住んでいて、日本の映画を外国向けに吹き替える仕事や英語を教えたりして生活を支え、その後ニューヨークに戻ってからも、通訳や翻訳などできる仕事は何でも引き受け、幼い娘を育てながら、それでも創作への意欲は持ち続けていたのです。

 ある時期はエンパイア・ステート・ビルの中の会社でタイピストとして働いていましたが、お昼休みに仲間とランチを食べておしゃべりするようなことはありませんでした。その時間を惜しんで自分のクリエーションに集中し、隣の部屋の棚には、全て私の前衛アート作品が入っているほどだった(笑)。

 境遇は恵まれていなくても、大変な環境に置かれていても、それをクリエーティブに変えていくのは「誇り」という力です。人間は、誇りを持たなかったら駄目になる、惨めになる。でも、8時間の勤務時間のうちの昼30分間だけでも、エンパイア・ステート・ビルから、たった一人の秘書が発想するクリエーションは誇りでした。自分がやりたいことの火を消さずに実行すれば、私たちは前へ進んでいけるのですね。この世界は、そういう一人ひとりの有り様で美しくなっていくのですから。

常識というのは
誰のためにもならない

 限られた人生の中で何を選ぶか。それは、自分が面白いと思えることに尽きます。会社が有名だとか、給料が高いということであなたの心は生涯ときめいていられますか? もちろん、それが楽しくて仕方がない人はそこを突き進めばいいし、やってもやっても、エネルギーが湧いてくるかどうかが大切なのです。

 大人が、「やりたいことで食べていけるほど世の中は甘くない」と言って、一つの職業に固執し融通が利かなくなるのは、ただ臆病なだけではないでしょうか。例えば人生を大きく変えなければならない時、女性はそこへ飛び込む大胆さと順応性を持っています。大人たちは、若い人のためにも、今までの常識を押しつけるべきではないし、若い人は既存の型に自分を合わせる必要はないのです。

 社会にはかたくなな基準というものがあって、女性は優しく、男性は力強く揺るぎなくなどと言いますが、そんなふうに2等分されるほど、私たち一人ひとりは単純ではありません。気づいているのに常識に合わせて生きようとするのは、自分の生涯を大切にしていないからではないでしょうか。

 本当の基準は「自分が美しいと思った全ては美しい」ということ。根底にあるのは愛です。世界中の人が何とも思わなくても、自分は愛している。それが非常に大事であり、その基準を活(い)かして欲しいと思います。(談)

オノーヨーコ 朝日新聞 仕事力


2013年1月11日金曜日

準拠性監査


準拠性監査とは、既存の規程や規則に照らして現行の業務がその規程・基準に沿っているかを点検することであり、「検査」に近い概念である。
言い換えれば、既存の「検査リスト」に基づいて「淡々と」検査を行い、その検査結果を残せば監査業務は完了する。その検査結果が何を表しているかについての評価は検査の対象外である。

既存の規程や規則自体が有効なものであるかどうかの評価、あるいは、あるべき規程・規則が存在するか、存在しないかの評価も、準拠性監査の対象外である。


2013年1月6日日曜日

強い思い(オノヨーコ)

私たちより少し前の人々は、家族と子供の平穏を何よりも大切にして生きてきましたね。そういう人生だって、内情は波打つこともあったでそうけど、でも穏やかな一生を守ることが生きがいだったと思います。

けれども今は、広く世の中や世界をつながり、私たちには、もっと大きく、エネルギーの必要なチャレンジが与えられている。ただただいままでのスタイルに従っていくのではなくて、自分で何が大切かを考え、クリエーティブな試みをする時代になりました。仕事は多岐にわたるようになるし、こんなことをしなくてはならないのかと困難を感じる日々もあるかもしれませんが、そうやって私たちは新しい時代の要求を大事にし、一生懸命にチャレンジする喜びをもらえているのです。

もちろんそれは、多くの人間にとっては随分難しいと思います。きっと怖いはず。でも、その怖さを乗り越えていって欲しい。そのために一番最初にするべきことは「イマジン(想像)」なのですね。本当に大事なことをする時には、まず頭で考え、それをリアルな映像にして自分で繰り返し見てください。自分のハートの深い所にある思いを現実にするために、何度でも確かめ、そしてその夢を人と分かち合うのです。

「一人で見る夢はただの夢」だけれど、「みんなで見る夢は現実になる」。私もそうやって仕事を実現してきました。

英国のリバプールにはジョン・レノンの育った家が残っていますが、彼の部屋はわずか3畳くらいで、とても狭い小さな小さな部屋です。両親と離別して伯母さんに育てられ、寂しさや悲しさを感じていた少年が、その狭い部屋で、自分がいつか音楽を通して大きなことをすると夢見ていたのは、本当にすごいことだと思います。

あなただって自分の城を4畳半かも6畳の小さな部屋かもしれません。でも自分が考えていることはいくらでも大きく広げていける。強い思いから発しているクリエーティブなことは世界中に伝わっていくものです。

現在の若い人は、例えば絵を描くなら油絵の具が必要だとか、仕事に最新の機器が欲しいとまず条件をそろえてもらおうといったことをします。でも牢獄に捕えられている囚人は、どうしても何か描きたいとなったら、鉛筆一本さえなくても自分の爪で壁を引っかいて描き始めるでしょう。それほど人間が持つコミュニケーションの欲望はすごい。だれもが人にコミュニケートして、何かしようという思いを持っているものです。

ジョージ・ハリスンが「仕事は非常に大事なもので、幸福も自分にくれる。だから神聖なものだ」と言っています。私もまさにそうだと思います。仕事の中に自分の夢を見る、その光を抱き続けてください。

(オノ・ヨーコ 2013年1月6日朝日新聞朝刊「仕事力」)