2013年5月25日土曜日

経験は積み重ねず、並べるもの

リアリティのある想像は、経験の中からしか生まれません。その意味で経験は非常に大事なものですが、想像なくしてヒマラヤの山は登れない。経験だけで挑み、仮に登れたとしても、それではちっともおもしろくないはずです。

たとえば、単純作業を繰り返すような場合であれば、経験はとても重要になってきます。経験を積み重ねれば重ねるほど、上手くなったり、速くなったりもする。

しかし、山はそうではない。同じ登山というものは、二つとない。一度登れた山だからといって、二度目も確実に登れるという話には絶対になりません。条件も違ってくるし、自分自身のコンディションによっても違ってくるし、パートナーによっても違ってくる。登山というのは、毎回が初回なのです。

だから経験は「知識」にはなるけれど、あまり役には立たない。経験を積み重ねれば積み重ねるほど、むしろ登山はつまらなくなってしまうとさえ私は感じています。

経験を積み木のように重ねて行けば、どんどん高くなります。その結果、ゼロから始めていたことが、たとえば10の高さからスタートできるようになる。それは、想像する楽しみが減ってしまうだけではなく、非常に危険なことでもあります。

何が起こるかわからないから、何が起こっても対処できるように想像して山に登るのです。最初から10の経験を持ち込んで山に登れば、その部分には想像が入る余地がなくなる。ところが待ち構えているのは、過去に経験した状況とは異なる状況です。経験に従って登ることは、現場で判断を下して行動するのではなく、マニュアル通りに行動するようなものです。

私にとっての経験とは、積み重ねるものではなく、並べるものなのです。経験が増えれば増えるほど、数多くのディテールが知識となって記憶にインプットされます。そのディテールとディテールの隙間を埋めていく作業が”想像”です。だから、経験の積み木のすべてが見渡せるように、テーブルの上に広げておく。そして、並べてある位置を移動させたり、順番を入れ替えたりしながら、隙間を埋め尽くすほど想像を膨らませていくわけです。

たとえば、急峻な氷壁を越えなければならないような場面。「どうやったら安全に効率よく登れるか?」という選択肢を100通り想像できていたとします。ところが、一歩踏み出した瞬間に選択肢は半分くらいに減り、三歩、四歩と進むうちに、選択肢はどんどん消去されていきます。消去さらたら、そこで再び想像し、選択肢を増やしていく。そうやって前に進んでいくことが、山頂に向かって自分を押し上げるという行為なのです。

経験に頼るのではなく、想像を広げながら登るからこそ、新しいことも見えてくる。想像できることが多ければ多いほど、登山はおもしろくなり、危険も回避できる。想像を楽しむために、まともに呼吸もできないつらさが待っているのを承知で、私は超高所の頂を目指し、下りてくるのです。

(登山の哲学 竹内洋岳 著 NHK出版新書)


経験は知識である。
経験をマニュアル化してはいけない。マニュアル化すると状況の変化に対応できない。
経験は積み重ねず、横に並べる。
経験を横に並べ、想像力で知識と知識の隙間を埋め、全ての経験がひとつの全体として見渡せるようにテーブルの上に広げる。
知識(経験)を増やせば増やすほど、想像(知識と知識の隙間を埋める作業)の幅も広がる。
想像の幅が広がると、より選択肢(知識の選択、知識の組み合わせ)を増やすことができ、消去し、またすぐに増やせる。
想像力と知識(経験)が自然に増殖するレベルに達すると、知識の習得自体が想像力を強化する。想像力で知識を補えるようになる。


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