2013年1月27日日曜日

昼休みのクリエーション(オノヨーコ)


若く苦しい時代にも
誇りを見つける

 私は、幼い頃から音楽や詩がとても好きでしたし、大学でも学びました。表現して生きる人生を当然と考えて育ってきたのです。でも真っすぐに自分の表現へたどり着いたわけではありませんでした。若い頃から、コンセプチュアルアート(概念芸術)の作品を何点か発表していましたが、それだけで食べていけるはずもない。

 長女が誕生した30歳の頃には日本に住んでいて、日本の映画を外国向けに吹き替える仕事や英語を教えたりして生活を支え、その後ニューヨークに戻ってからも、通訳や翻訳などできる仕事は何でも引き受け、幼い娘を育てながら、それでも創作への意欲は持ち続けていたのです。

 ある時期はエンパイア・ステート・ビルの中の会社でタイピストとして働いていましたが、お昼休みに仲間とランチを食べておしゃべりするようなことはありませんでした。その時間を惜しんで自分のクリエーションに集中し、隣の部屋の棚には、全て私の前衛アート作品が入っているほどだった(笑)。

 境遇は恵まれていなくても、大変な環境に置かれていても、それをクリエーティブに変えていくのは「誇り」という力です。人間は、誇りを持たなかったら駄目になる、惨めになる。でも、8時間の勤務時間のうちの昼30分間だけでも、エンパイア・ステート・ビルから、たった一人の秘書が発想するクリエーションは誇りでした。自分がやりたいことの火を消さずに実行すれば、私たちは前へ進んでいけるのですね。この世界は、そういう一人ひとりの有り様で美しくなっていくのですから。

常識というのは
誰のためにもならない

 限られた人生の中で何を選ぶか。それは、自分が面白いと思えることに尽きます。会社が有名だとか、給料が高いということであなたの心は生涯ときめいていられますか? もちろん、それが楽しくて仕方がない人はそこを突き進めばいいし、やってもやっても、エネルギーが湧いてくるかどうかが大切なのです。

 大人が、「やりたいことで食べていけるほど世の中は甘くない」と言って、一つの職業に固執し融通が利かなくなるのは、ただ臆病なだけではないでしょうか。例えば人生を大きく変えなければならない時、女性はそこへ飛び込む大胆さと順応性を持っています。大人たちは、若い人のためにも、今までの常識を押しつけるべきではないし、若い人は既存の型に自分を合わせる必要はないのです。

 社会にはかたくなな基準というものがあって、女性は優しく、男性は力強く揺るぎなくなどと言いますが、そんなふうに2等分されるほど、私たち一人ひとりは単純ではありません。気づいているのに常識に合わせて生きようとするのは、自分の生涯を大切にしていないからではないでしょうか。

 本当の基準は「自分が美しいと思った全ては美しい」ということ。根底にあるのは愛です。世界中の人が何とも思わなくても、自分は愛している。それが非常に大事であり、その基準を活(い)かして欲しいと思います。(談)

オノーヨーコ 朝日新聞 仕事力


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