2014年9月30日火曜日
2014年9月22日月曜日
2014年9月21日日曜日
砂泊師範
気を流す
相手に手を取らせるとき、相手が突いてくるとき、どうぞ手を取って下さい、どうぞ突いて下さい、という気を相手に流す。相手より速く、相手に相手の欲するところを与える。
力を流す
相手が触れると同時に、全身の抜けた力が入る。その力は、常に相手と溶け合う気持ちが形に現れたもので、相手に逆らう気持ち、相手を倒そうとする心からは絶対に出ない。
気を先行させ、力は先行させた気に”乗せる”。
気を流す 力を流す 気を結ぶ。
相手に手を取らせるとき、相手が突いてくるとき、どうぞ手を取って下さい、どうぞ突いて下さい、という気を相手に流す。相手より速く、相手に相手の欲するところを与える。
力を流す
相手が触れると同時に、全身の抜けた力が入る。その力は、常に相手と溶け合う気持ちが形に現れたもので、相手に逆らう気持ち、相手を倒そうとする心からは絶対に出ない。
気を先行させ、力は先行させた気に”乗せる”。
気を流す 力を流す 気を結ぶ。
意識操作(4)
外部から到来する、制御できない力に自分の身体を捧げる。身体は外部の自然のエネルギーの通り道。自分の筋肉から出るエネルギーはわずかしかない。身体を通して、外部の偉大なエネルギーを発揮する。
胸の抜き
胸を細い糸で背中越しに天井から吊っている様子を想像し、息を抜くことによってこの糸を切り、胸が自然落下するような感じをつかむ。胸の抜きはすべての動きのきっかけになるものである。四肢の緊張を解き、予備動作のない変化を起こす。
グーグルの採用基準
学ぶ力
臨機応変に処理する能力。バラバラの異質な情報をひとまとめにする能力。
リーダーシップ
特に創発的な統率力。他者のよりよい発想を受け入れるために身を引く謙虚な(humility)知性と主体性を併せ持つ。
臨機応変に処理する能力。バラバラの異質な情報をひとまとめにする能力。
リーダーシップ
特に創発的な統率力。他者のよりよい発想を受け入れるために身を引く謙虚な(humility)知性と主体性を併せ持つ。
2013年11月23日土曜日
からだの意識
重い甲冑を身に付けているイメージを持ち、自分のからだの領域と重さは甲冑を含めた容量、質量と意識する。体の外に体の意識を置く。
手は200KGの握力と質量を持つとイメージする。この強力な手から体を稼働させる。
手は頭で操作する(神経で筋肉を動かす)のではなく、肚で操作する(肚から発する意識で直接手を動かす)
手は200KGの握力と質量を持つとイメージする。この強力な手から体を稼働させる。
手は頭で操作する(神経で筋肉を動かす)のではなく、肚で操作する(肚から発する意識で直接手を動かす)
遅咲き成功者の共通点
仰ぎ見る師匠がいること
怒涛の仕事量をこなす
敵との切磋、友との切磋
修養、鍛練、切磋を怠らない
飛翔する構想力を持つ
平凡の凡を重ねよ、いつかは非凡になる(元東芝社長、岩田弌夫)
怒涛の仕事量をこなす
敵との切磋、友との切磋
修養、鍛練、切磋を怠らない
飛翔する構想力を持つ
平凡の凡を重ねよ、いつかは非凡になる(元東芝社長、岩田弌夫)
2013年8月11日日曜日
内臓とこころ
体は体壁系と内臓系に分かれる。
体壁系:外皮系、神経系、筋肉系
外皮系(感覚):皮膚、皮膚から高度に分化した目、鼻、耳の感覚器官が含まれる。全て外界との接触面となる。
神経系(伝達):外皮系と筋肉系の間にできる。特に発達して脊髄になる。脊髄の前端が大きく膨らんで脳となる。
筋肉系(運動):内臓を全部包む。
感覚と運動というものは、どちらが原因で、どちらが結果というものではない。感覚と運動は同時進行です。感覚と運動の両者の間にあって、絶えず行ったり来たり、”走り使い”するのが、神経系の本来の役目と思えばいい。文字通り「伝達」するだけです。
内臓系:腸管系、血管系、腎管系
腸管系(吸収):腸管の両脇腹に巨大な性腺が生まれる
血管系(循環):吸収と排出の間にあって”交流”をはかる
腎管系(排出):腎管が性管に変身する
こんにゃく体操(野口三千三)
私たちのからだは皮袋に入った酒であるという。容器がしなやかになれば中身はその時々の形で常に地球の中心に結ばれひとつの天体と化す。解剖学的には袋が体壁系に、酒が内臓系に相当するので、ここでは体壁系のつっぱりを取ることが当面の目標となる。
「内臓とこころ」 三木成夫著
体壁系:外皮系、神経系、筋肉系
外皮系(感覚):皮膚、皮膚から高度に分化した目、鼻、耳の感覚器官が含まれる。全て外界との接触面となる。
神経系(伝達):外皮系と筋肉系の間にできる。特に発達して脊髄になる。脊髄の前端が大きく膨らんで脳となる。
筋肉系(運動):内臓を全部包む。
感覚と運動というものは、どちらが原因で、どちらが結果というものではない。感覚と運動は同時進行です。感覚と運動の両者の間にあって、絶えず行ったり来たり、”走り使い”するのが、神経系の本来の役目と思えばいい。文字通り「伝達」するだけです。
内臓系:腸管系、血管系、腎管系
腸管系(吸収):腸管の両脇腹に巨大な性腺が生まれる
血管系(循環):吸収と排出の間にあって”交流”をはかる
腎管系(排出):腎管が性管に変身する
こんにゃく体操(野口三千三)
私たちのからだは皮袋に入った酒であるという。容器がしなやかになれば中身はその時々の形で常に地球の中心に結ばれひとつの天体と化す。解剖学的には袋が体壁系に、酒が内臓系に相当するので、ここでは体壁系のつっぱりを取ることが当面の目標となる。
「内臓とこころ」 三木成夫著
2013年7月15日月曜日
2013年5月25日土曜日
経験は積み重ねず、並べるもの
リアリティのある想像は、経験の中からしか生まれません。その意味で経験は非常に大事なものですが、想像なくしてヒマラヤの山は登れない。経験だけで挑み、仮に登れたとしても、それではちっともおもしろくないはずです。
たとえば、単純作業を繰り返すような場合であれば、経験はとても重要になってきます。経験を積み重ねれば重ねるほど、上手くなったり、速くなったりもする。
しかし、山はそうではない。同じ登山というものは、二つとない。一度登れた山だからといって、二度目も確実に登れるという話には絶対になりません。条件も違ってくるし、自分自身のコンディションによっても違ってくるし、パートナーによっても違ってくる。登山というのは、毎回が初回なのです。
だから経験は「知識」にはなるけれど、あまり役には立たない。経験を積み重ねれば積み重ねるほど、むしろ登山はつまらなくなってしまうとさえ私は感じています。
経験を積み木のように重ねて行けば、どんどん高くなります。その結果、ゼロから始めていたことが、たとえば10の高さからスタートできるようになる。それは、想像する楽しみが減ってしまうだけではなく、非常に危険なことでもあります。
何が起こるかわからないから、何が起こっても対処できるように想像して山に登るのです。最初から10の経験を持ち込んで山に登れば、その部分には想像が入る余地がなくなる。ところが待ち構えているのは、過去に経験した状況とは異なる状況です。経験に従って登ることは、現場で判断を下して行動するのではなく、マニュアル通りに行動するようなものです。
私にとっての経験とは、積み重ねるものではなく、並べるものなのです。経験が増えれば増えるほど、数多くのディテールが知識となって記憶にインプットされます。そのディテールとディテールの隙間を埋めていく作業が”想像”です。だから、経験の積み木のすべてが見渡せるように、テーブルの上に広げておく。そして、並べてある位置を移動させたり、順番を入れ替えたりしながら、隙間を埋め尽くすほど想像を膨らませていくわけです。
たとえば、急峻な氷壁を越えなければならないような場面。「どうやったら安全に効率よく登れるか?」という選択肢を100通り想像できていたとします。ところが、一歩踏み出した瞬間に選択肢は半分くらいに減り、三歩、四歩と進むうちに、選択肢はどんどん消去されていきます。消去さらたら、そこで再び想像し、選択肢を増やしていく。そうやって前に進んでいくことが、山頂に向かって自分を押し上げるという行為なのです。
経験に頼るのではなく、想像を広げながら登るからこそ、新しいことも見えてくる。想像できることが多ければ多いほど、登山はおもしろくなり、危険も回避できる。想像を楽しむために、まともに呼吸もできないつらさが待っているのを承知で、私は超高所の頂を目指し、下りてくるのです。
(登山の哲学 竹内洋岳 著 NHK出版新書)
経験は知識である。
経験をマニュアル化してはいけない。マニュアル化すると状況の変化に対応できない。
経験は積み重ねず、横に並べる。
経験を横に並べ、想像力で知識と知識の隙間を埋め、全ての経験がひとつの全体として見渡せるようにテーブルの上に広げる。
知識(経験)を増やせば増やすほど、想像(知識と知識の隙間を埋める作業)の幅も広がる。
想像の幅が広がると、より選択肢(知識の選択、知識の組み合わせ)を増やすことができ、消去し、またすぐに増やせる。
想像力と知識(経験)が自然に増殖するレベルに達すると、知識の習得自体が想像力を強化する。想像力で知識を補えるようになる。
たとえば、単純作業を繰り返すような場合であれば、経験はとても重要になってきます。経験を積み重ねれば重ねるほど、上手くなったり、速くなったりもする。
しかし、山はそうではない。同じ登山というものは、二つとない。一度登れた山だからといって、二度目も確実に登れるという話には絶対になりません。条件も違ってくるし、自分自身のコンディションによっても違ってくるし、パートナーによっても違ってくる。登山というのは、毎回が初回なのです。
だから経験は「知識」にはなるけれど、あまり役には立たない。経験を積み重ねれば積み重ねるほど、むしろ登山はつまらなくなってしまうとさえ私は感じています。
経験を積み木のように重ねて行けば、どんどん高くなります。その結果、ゼロから始めていたことが、たとえば10の高さからスタートできるようになる。それは、想像する楽しみが減ってしまうだけではなく、非常に危険なことでもあります。
何が起こるかわからないから、何が起こっても対処できるように想像して山に登るのです。最初から10の経験を持ち込んで山に登れば、その部分には想像が入る余地がなくなる。ところが待ち構えているのは、過去に経験した状況とは異なる状況です。経験に従って登ることは、現場で判断を下して行動するのではなく、マニュアル通りに行動するようなものです。
私にとっての経験とは、積み重ねるものではなく、並べるものなのです。経験が増えれば増えるほど、数多くのディテールが知識となって記憶にインプットされます。そのディテールとディテールの隙間を埋めていく作業が”想像”です。だから、経験の積み木のすべてが見渡せるように、テーブルの上に広げておく。そして、並べてある位置を移動させたり、順番を入れ替えたりしながら、隙間を埋め尽くすほど想像を膨らませていくわけです。
たとえば、急峻な氷壁を越えなければならないような場面。「どうやったら安全に効率よく登れるか?」という選択肢を100通り想像できていたとします。ところが、一歩踏み出した瞬間に選択肢は半分くらいに減り、三歩、四歩と進むうちに、選択肢はどんどん消去されていきます。消去さらたら、そこで再び想像し、選択肢を増やしていく。そうやって前に進んでいくことが、山頂に向かって自分を押し上げるという行為なのです。
経験に頼るのではなく、想像を広げながら登るからこそ、新しいことも見えてくる。想像できることが多ければ多いほど、登山はおもしろくなり、危険も回避できる。想像を楽しむために、まともに呼吸もできないつらさが待っているのを承知で、私は超高所の頂を目指し、下りてくるのです。
(登山の哲学 竹内洋岳 著 NHK出版新書)
経験は知識である。
経験をマニュアル化してはいけない。マニュアル化すると状況の変化に対応できない。
経験は積み重ねず、横に並べる。
経験を横に並べ、想像力で知識と知識の隙間を埋め、全ての経験がひとつの全体として見渡せるようにテーブルの上に広げる。
知識(経験)を増やせば増やすほど、想像(知識と知識の隙間を埋める作業)の幅も広がる。
想像の幅が広がると、より選択肢(知識の選択、知識の組み合わせ)を増やすことができ、消去し、またすぐに増やせる。
想像力と知識(経験)が自然に増殖するレベルに達すると、知識の習得自体が想像力を強化する。想像力で知識を補えるようになる。
2013年5月6日月曜日
合気をかけるタイミング
合気をかけるときには、絶対に、沈み込む、モーションをつける等の「はずみ」、準備動作、をつけない。いきなり相手の気をつかむ。いきなり相手の軸を捕まえにいく。つかまえると同時に技をかける。
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