いったん自分のものとなり、少しばかり時間がたつと、つまらないもののように感じ始める。それが物であっても人間であってもだ。
すでに手に入れて、慣れてしまったから飽きるのだ。けれどもそれは、本当は自分自身に飽きているということだ。手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる。すなわち、それに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ。つまり、自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすいことになる。
そうではなく、人間として成長を続けている人は、自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けても少しも飽きないのだ。
(超訳ニーチェの言葉 No.069 白鳥春彦編訳)
2012年12月9日日曜日
2012年11月4日日曜日
天才はきみとかけ離れた存在ではない
歴史上の圧倒的な天才に少しも嫉妬しないのは、天才は、一種の奇蹟の体現のようなものだと考えているからだ。
しかし実際には、どの天才も猛烈で地道な努力の末に作品を創作しただけなのである。そこには奇蹟じみたものはない。そのあたりまえのことをふつうの人は想像できないのだ。
(ニーチェの言葉II No.131 「人間的、あまりに人間的」 白鳥春彦編訳)
しかし実際には、どの天才も猛烈で地道な努力の末に作品を創作しただけなのである。そこには奇蹟じみたものはない。そのあたりまえのことをふつうの人は想像できないのだ。
(ニーチェの言葉II No.131 「人間的、あまりに人間的」 白鳥春彦編訳)
本を書くということ
何事かを教えるために一冊の本を書くのではない。読者に対して、自分のほうが上にあるということを誇示するために書くのではない。
本を書くということは、なんらかの事柄を通じて自己を克服しきったことの一種の証明である。古い自己を乗り越え、人間として新しく脱皮したことの証である。
それはしかし決して個人的な自己満足ではなく、同じ人間として自己を超克しえたという例を示すことによる、他の人々への励ましであると同時に、読者の現在の人生に対して謙虚に役に立とうとする奉仕の行いでもあるのだ。
(ニーチェの言葉II No.84 「人間的、あまりに人間的」 白鳥春彦編訳)
本を書くということは、なんらかの事柄を通じて自己を克服しきったことの一種の証明である。古い自己を乗り越え、人間として新しく脱皮したことの証である。
それはしかし決して個人的な自己満足ではなく、同じ人間として自己を超克しえたという例を示すことによる、他の人々への励ましであると同時に、読者の現在の人生に対して謙虚に役に立とうとする奉仕の行いでもあるのだ。
(ニーチェの言葉II No.84 「人間的、あまりに人間的」 白鳥春彦編訳)
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