2014年9月21日日曜日

グーグルの採用基準

学ぶ力
臨機応変に処理する能力。バラバラの異質な情報をひとまとめにする能力。

リーダーシップ
特に創発的な統率力。他者のよりよい発想を受け入れるために身を引く謙虚な(humility)知性と主体性を併せ持つ。

りきみ

りきみとは、屈筋と伸筋の同時収縮のこと。

意識操作(3)

自分の筋肉で相手を動かすのではなく、相手の筋肉で相手が動いてもらうように働きかける。相手と一体になり、大脳中枢から微弱な電気信号を出して、相手の筋肉の神経に働きかける。

意識操作(2)

人間の意識は肉体の中にあるのではない。脳とは肉体の外にある意識と肉体をつなぐ装置である。脳は単なる意識を受ける受信装置に過ぎず、意識自体は時空を超えた特別な場所に存在している。

意識操作

相手のカラダの中を自分の意識が感じているという世界。

自分のカラダだと思って相手の身体を直接操作する。

身体操作

カラダの意識をカラダの外に出せば、身体操作はただの意識操作になる。

2013年11月23日土曜日

からだの意識

重い甲冑を身に付けているイメージを持ち、自分のからだの領域と重さは甲冑を含めた容量、質量と意識する。体の外に体の意識を置く。

手は200KGの握力と質量を持つとイメージする。この強力な手から体を稼働させる。
手は頭で操作する(神経で筋肉を動かす)のではなく、肚で操作する(肚から発する意識で直接手を動かす)

遅咲き成功者の共通点

仰ぎ見る師匠がいること
怒涛の仕事量をこなす
敵との切磋、友との切磋
修養、鍛練、切磋を怠らない
飛翔する構想力を持つ

平凡の凡を重ねよ、いつかは非凡になる(元東芝社長、岩田弌夫)

2013年8月11日日曜日

内臓とこころ

体は体壁系と内臓系に分かれる。

体壁系:外皮系、神経系、筋肉系

外皮系(感覚):皮膚、皮膚から高度に分化した目、鼻、耳の感覚器官が含まれる。全て外界との接触面となる。
神経系(伝達):外皮系と筋肉系の間にできる。特に発達して脊髄になる。脊髄の前端が大きく膨らんで脳となる。
筋肉系(運動):内臓を全部包む。
感覚と運動というものは、どちらが原因で、どちらが結果というものではない。感覚と運動は同時進行です。感覚と運動の両者の間にあって、絶えず行ったり来たり、”走り使い”するのが、神経系の本来の役目と思えばいい。文字通り「伝達」するだけです。

内臓系:腸管系、血管系、腎管系

腸管系(吸収):腸管の両脇腹に巨大な性腺が生まれる
血管系(循環):吸収と排出の間にあって”交流”をはかる
腎管系(排出):腎管が性管に変身する

こんにゃく体操(野口三千三)
私たちのからだは皮袋に入った酒であるという。容器がしなやかになれば中身はその時々の形で常に地球の中心に結ばれひとつの天体と化す。解剖学的には袋が体壁系に、酒が内臓系に相当するので、ここでは体壁系のつっぱりを取ることが当面の目標となる。

「内臓とこころ」 三木成夫著

2013年7月15日月曜日

相手の気をつかむ(4)

肚(下丹田)で相手の肚をつかむ。胸(中丹田)で相手の胸をつかむ。頭(上丹田)で相手の頭をつかむ。

敗因の3要素

敗因の3要素は、情報不足、慢心、思い込み。この3つ。林修

Big Apple

体にまとう気のバリアの形が大きな林檎になるようにイメージする。林檎の芯の部分が体になり、頭の頂上と足の下が磁石のN極とS極で、磁気の立体的な線の集合が林檎の形になるイメージ。

2013年5月25日土曜日

経験は積み重ねず、並べるもの

リアリティのある想像は、経験の中からしか生まれません。その意味で経験は非常に大事なものですが、想像なくしてヒマラヤの山は登れない。経験だけで挑み、仮に登れたとしても、それではちっともおもしろくないはずです。

たとえば、単純作業を繰り返すような場合であれば、経験はとても重要になってきます。経験を積み重ねれば重ねるほど、上手くなったり、速くなったりもする。

しかし、山はそうではない。同じ登山というものは、二つとない。一度登れた山だからといって、二度目も確実に登れるという話には絶対になりません。条件も違ってくるし、自分自身のコンディションによっても違ってくるし、パートナーによっても違ってくる。登山というのは、毎回が初回なのです。

だから経験は「知識」にはなるけれど、あまり役には立たない。経験を積み重ねれば積み重ねるほど、むしろ登山はつまらなくなってしまうとさえ私は感じています。

経験を積み木のように重ねて行けば、どんどん高くなります。その結果、ゼロから始めていたことが、たとえば10の高さからスタートできるようになる。それは、想像する楽しみが減ってしまうだけではなく、非常に危険なことでもあります。

何が起こるかわからないから、何が起こっても対処できるように想像して山に登るのです。最初から10の経験を持ち込んで山に登れば、その部分には想像が入る余地がなくなる。ところが待ち構えているのは、過去に経験した状況とは異なる状況です。経験に従って登ることは、現場で判断を下して行動するのではなく、マニュアル通りに行動するようなものです。

私にとっての経験とは、積み重ねるものではなく、並べるものなのです。経験が増えれば増えるほど、数多くのディテールが知識となって記憶にインプットされます。そのディテールとディテールの隙間を埋めていく作業が”想像”です。だから、経験の積み木のすべてが見渡せるように、テーブルの上に広げておく。そして、並べてある位置を移動させたり、順番を入れ替えたりしながら、隙間を埋め尽くすほど想像を膨らませていくわけです。

たとえば、急峻な氷壁を越えなければならないような場面。「どうやったら安全に効率よく登れるか?」という選択肢を100通り想像できていたとします。ところが、一歩踏み出した瞬間に選択肢は半分くらいに減り、三歩、四歩と進むうちに、選択肢はどんどん消去されていきます。消去さらたら、そこで再び想像し、選択肢を増やしていく。そうやって前に進んでいくことが、山頂に向かって自分を押し上げるという行為なのです。

経験に頼るのではなく、想像を広げながら登るからこそ、新しいことも見えてくる。想像できることが多ければ多いほど、登山はおもしろくなり、危険も回避できる。想像を楽しむために、まともに呼吸もできないつらさが待っているのを承知で、私は超高所の頂を目指し、下りてくるのです。

(登山の哲学 竹内洋岳 著 NHK出版新書)


経験は知識である。
経験をマニュアル化してはいけない。マニュアル化すると状況の変化に対応できない。
経験は積み重ねず、横に並べる。
経験を横に並べ、想像力で知識と知識の隙間を埋め、全ての経験がひとつの全体として見渡せるようにテーブルの上に広げる。
知識(経験)を増やせば増やすほど、想像(知識と知識の隙間を埋める作業)の幅も広がる。
想像の幅が広がると、より選択肢(知識の選択、知識の組み合わせ)を増やすことができ、消去し、またすぐに増やせる。
想像力と知識(経験)が自然に増殖するレベルに達すると、知識の習得自体が想像力を強化する。想像力で知識を補えるようになる。


2013年5月6日月曜日

合気をかけるタイミング

合気をかけるときには、絶対に、沈み込む、モーションをつける等の「はずみ」、準備動作、をつけない。いきなり相手の気をつかむ。いきなり相手の軸を捕まえにいく。つかまえると同時に技をかける。

合気真髄より

合気の稽古はその主となるものは、気形の稽古と鍛錬法である。気形の真に大なるものが真剣勝負である。武道においては本来、いわゆるスポーツ的試合はない。試合うとすれば生死をかけた試合となる。しかしながら徒に勝負を求めることは大きな間違いである。

2013年4月20日土曜日

相手の気をはずす

相手が手首をつかんで、さらに自分の気をつかみに来た場合(自分の気の波長にチューニングしてきた場合)に、気をはずす、即ち自分の気の波長を変えてチューニングをはずす方法として、つかまれている手首が、実際にある位置ではなく、別の位置にあると意識する。意識上の手首を剣の中段の位置に置く。即ち、意識上の物理的位置を移動させる。


相手の気をつかむ(3)

相手の気をつかむ場合は、つかんだ(つかまれた)手の接触点から気の意識を延長して相手の体全体に気をめぐらしてつかむのではなく、一機に相手の体全体をつかむ。気を延長させる意識は持たない。背骨腰骨全体を一機につかむ。二次元ではなく三次元で相手の背骨腰骨をつかむ。体を樹木にたとえるならば、樹木(体全体)を持ち上げるには幹(背骨腰骨)をつかめばよい。これが「合気をかける」の意味かもしれない。

手と手の接触点から合気をかけるのではなく、相手と接触していなくても、腰玉から気を発して合気をかけて、相手の体をつかむ。

腰玉(2)

腰玉は気のエネルギーを蓄える、蓄電池ならぬ「蓄気池」の機能を有する。蓄気の容量は無限大で、いくらでもエネルギーを貯め込むことができる。意識して蓄気し、必要な時に気のエネルギーを出力する。但し、知らぬ間にエネルギーが放出してしまう、放電ならぬ「放気」が起こらないように腰玉を制御することが必要。入力、蓄気、出力の3つをを制御する。

人間は体力と気力の二つのエネルギーをバランスして使いながら活動する、いわば、ガソリンエンジンと蓄電池の両方をコントロールして駆動するハイブリッドカーの如し。


2013年4月10日水曜日

フレームワークの構成

地の巻=機能側面(基本、基盤)
水の巻=静的側面(心的側面)
火の巻=動的側面(体的側面)

フレームワークのプログラム

監査実務のフレームワークを構築する上で、最も重要なポイントは、フレームワークの基本のプログラムの中に、状況に応じて臨機応変に対応する自在力が組み込まれることである。

序文(地の巻)

筆者は総合商社の監査部に5年間在籍し、この間30の組織の監査を行った。監査の対象の組織単位は本社の営業部であり、また事業会社(連結子会社)であり、業種は総合商社ならではで、機械、食品、エネルギー、繊維、物資、また情報等の多岐に亘る。商社であるので製造業や小売業の監査先は極めて限定され、また病院や非営利組織は監査の経験はない。しかし、扱い商品やサービスが異なり、業種によってカルチャーも全く違うとまで言い切れる中で、業種を超えた監査の経験を積むことにより、それぞれの監査の実施経験に共通する「何か」を感じたことは事実である。この「何か」を言葉に表すことができれば、今後の監査のレベルアップに役立てることができるであろうし、監査に従事する監査人の一助になると考えた次第である。

”何か感じたことを言葉にする”、即ち「言語化」は、深い思考活動及び精神活動を必要とする厄介な作業であることを思い知らされることになる。少し具体的に述べると、過去の一つ一つの経験を集めて、そこから共通性を抽出し、それをシンプルな言葉に帰納させて抽象化する。冒頭のスティーブジョブスの言葉の通り、シンプルにする、言い換えれば物事を抽象化する、あるいは概念化するという作業は大変なことであるが、一旦抽象化し概念(モデル)にすればそれをフレームワークとして様々な局面で活用することができるだろう。

監査の本来の仕事は、「業務の間違いさがし」でなく、内部統制システムの整備、運用状況をチェックすることであり、常に組織の本質、根幹の部分に目を向ける作業と言い換えることができる。この意味で、物事を抽象化する作業を常に繰り返し行う活動と言える。