2016年2月20日土曜日

手の業 その1 (「武道」植芝守髙)

技法真髄 第五 手の業 その1

手と足と腰の、心よりの一致は心身を守るには最も必要な事で、さらに人を導くにも、また導かれるにも、手によってなされる。一方で導き、一方で倒す、これをよく理解しなければならぬ。敵が引こうとした時には、まず敵をして引く心を起こさしめ、引かすべく仕向ける。武術の鍛錬が出来てくると、敵よりも先に、敵の不足を満足さすべく、こちらから敵の隙、即ち不満の場所を見出して業をかける。この、敵の隙を見出すのが武道である。しかし、真の武道は、敵を殲滅するだけでなく、その敵対する所の精神を、敵自ら喜んで無くさしめる様に為さねばならぬ。和合の為に為すのが真の武道である。心身は水と火の妙の如し。体と精神とが一如となって和合する様、練磨怠るべからず。敵が我の(左)手首を取らんとすれば、左足を引き、取らんとする手をもって敵を導き、一方の手をもって首へ打ち下ろすべし。

心身の変化の理 (「武道」植芝守髙)

技法真髄 第一 心身変化の理

敵という者は、自己の心身を誠に作り上げる為の修行鍛錬の賜物と思い、敵が剣を以て我に向かう時は、その生死の巷においてよく心身を落ち着け、道に従い敵に乗ずる隙を与えず、自己の思うままに敵の心を抑え、自己の思うままに時を作り、間髪を入れず真直ぐに、斜めに、また自己の思う通りに心身の心線を起こし、全身一致の誠の剣と化して突進し、敵を滅却させるべきことを思う。是が大和魂たる日の本経津(ふつ)の魂の御剣の御儀と思考する。

剣は武夫の魂なり。剣は宇宙真性の現われなり。剣をいたずらに抜く時は、自己の魂をもてあそぶものなり。

誠の勇、誠の智、誠の愛、誠の親の四つの魂を一つにして剣の下に修し、精魂の磨き、身体の磨きにより、全心身は剣と化し、剣光を放つべし。


武を練れば武魂を養うに適する、誠忠にして善美なる肉体を作り上げることができる。

2016年2月4日木曜日

手の業 その2 「武道」植芝守髙

技法真髄 第五 手の業 その2

我が心の隙より現われし理を悟って真正面より来る敵の槍の真中心に、入身転換法の法によって無事にその囲みを破って安全地帯へ出づべし。周囲を全部敵に取り巻かれたる時も入身転換法の法によって、破れざる姿勢で敵を抑えるべし。法線を知るべし。邪道に練磨すべからず。神より頂きたる小宇宙を徒に破るべからず。


敵を倒すことが武術の稽古なり。この道理をよく汲み、体に画き出して稽古すべし。大勢の時は一人と思い、一人の時は大勢を思い戦うべし。一を以て万に当たる理を知り、隙を与えざる様為すべし。心身に寸隙なき大和魂の誠を作り上げ、上中下一致前後左右の敵を誠の入身転換法の合気により心より征し伏す稽古が必要である。超非常時に入り世界全部が敵となりし時、この心技が特に必要である。心許すべからず。