2016年1月28日木曜日

手の業 その3 「武道」植芝守髙

技法真髄 第五 手の業 その3

神の心を人の肉体に建設し、闇を照破する光の如く更に更に深く稽古を積まねばならぬ。

古人の極意の書に「太陽の光が襖を開けるともなしに差し入る如し。武術もそうでなければならぬ」とあるも、襖でも壁でも岩でも何でも照破して通り抜ける様な光となる様修すべし。又、道は魂も身も物も皆、主神のものなり。御稜威により現世幽界の両界に生通し、武夫の本分たる武技を達成す。現世に修し、幽界に修し、繰返しつつ限りなく長久に両界を修す。この精神こそ現世に誠忠し、幽世に入りて益々誠忠を尽くすべきを本分とす。

2016年1月2日土曜日

意識その2

相手を動かすために自分の肉体を動かすのではない。相手を動かそうと自分の肉体を動かす(作用する)と、相手の肉体に反作用が生じ、相手は抵抗する。
自分の肉体を動かすのではなく、意識を相手の肉体に直接働きかけて相手の肉体を動かす。そこにはもはや「自分」はいない。相手と一体化した合気が存在する。
自分がいなくなる。本気でいなくなれるか?自分を捨てられるか?自己犠牲の心を持つことができるか?

意識その1

体の意識を体の外に出せば、身体操作はただの意識操作になる。
相手の体の中を自分の意識が感じているという世界。
自分の体だと思って相手の身体を直接操作する。「意のままにする」

人間の意識は肉体の中にあるのではない。脳とは肉体の外にある意識と肉体をつなぐ装置である。脳は単なる意識を受ける受信装置に過ぎず、意識自体は時空を超えた特別な場所に存在している。